話が通じない相手と話をする方法――哲学者が教える不可能を可能にする対話術 ピーター・ボゴジアン、ジェームズ・リンゼイ
読書時間 | 3時間37分(5日間) |
文章の難易度 | ★★☆(ふつう) |
内容の難易度 | ★★☆(ふつうだが、現実味がない) |
話が通じない相手とは、可能な限り話をしないに限る。
これがこの本を読んで私が出した結論です。
これを読むきっかけとなったのは、以前の上司があまりに私の話を真剣に聞かなかったことにあります。
その上司の素質に問題があったかどうかはさておき、もし私がもっと相手に通じるように話をするスキルがあったら状況は変わったのかという思いがありました。
この本は、宗教や政治観をはじめとする意見や価値観が違う人同士が話をしなくてはいけない場面で、相手が変わってくれることを待つのではなく、自分がどう努力したら会話が改善できるかが書かれています。
入門、初級、中級、上級、超上級、達人と段階に分かれていて、それぞれどのような手法を取ったら良いのか、何をしたらダメなのかが書いてあります。
話が通じない相手にも諦めず、努力すること、と。
でも、結構な努力と実践が必要な内容なのです。
読んでいて思いました。
「これ、本当に私にできるか…?」と。
私が本に書かれているように努力して実践できるかという問題だけでなく、実践できたとして本当に相手に通じるのかという疑問が浮上するわけです。
会話例も載っているのですが、それが果たして円滑で効果的な会話なのかも私にはよくわからない。
理論としては正しいのかもしれない。
けどなあ、というところ。(解説にも暗に書いてありますしね)
話が通じない相手というのは、総じて好きでないことが多いです。
好きでない相手と話すことを乗り越える難しさがそもそもあるなあ、と。
それから、相手が言っていることを「違うのではないか」と指摘すると、言っている内容ではなく自分の人格を否定されたと怒ってしまう人が一定数いますよね。
これは自分が努力しても、どうしようもないことです。
「話が通じない相手」のことよりも、もしかしたら、親しく気を許してしまっている間柄の人について考え直した方がいいかもしれないですね。
気を許すことと横柄になることは違うので、努力することで関係は継続的に成り立つことを意識することの大切さを思い出しました。
気を許すと、無意識で意見を押しつけてしまうことがありますから。
本に書いてあることとして、
理解を示して、否定をしないこと。(理解と同意は違うこと)
相手と考えが違うからと言って、自分の考えは曲げないでも良いこと。
思想が違っても関係性を変化させなくても良いこと。
感情的にならず、諦めず話し合うこと。
できることは、これくらいが限界な気がします。
だって、自分を変えるのさえほとほと苦労しているのに、相手を変えるなんて無理中の無理ですよ。
私の過去のモヤモヤも「どうしようもなかったな」とわかってスッキリしました。
真剣に話が通じない相手に悩んでいる人には向かない本だと思います。
まあこういう考え方もあるよね、と余裕を持って考えられるなら読んでみてもいいかもしれません。