遠きにありて、ウルは遅れるだろう ペ・スア
| 読書時間 | 2時間27分(7日間) |
| 文章の難易度 | ★★★(難しい) |
| 内容の難易度 | ★★★(難しい) |
| 文章を読んで衝撃が欲しい人におすすめ度 | ★★★ |
読むのが結構つらかった本である。
面白くない、ということではなく、とにかく読むのがつらい。
なぜかというと、最初から最後まで、文章の意味はわかるのに、言いたいことはよくわからないからだ。
シュールレアリスムの絵画を観ると、こういう気持ちになる。
画面に何が描いてあるかはわかるのに、意味はわからない。
絵は一瞥で終わることもできるが、小説だとそうはいかない。
ただ不思議なのは、絵でも小説でも「訳がわからないのに凄いということはわかる」作品が存在することだ。
物語は、記憶をすべて失った女性「私」が、旅館の一室で目覚めるところから始まる。
彼女のそばには、同じく記憶を失った黒い服の「同行者」がおり、新聞にジョナス・メカスの訃報が載っていることから、日付は「1月23日頃」と推測できるだけだ。
「私」は巫女に会い、<ウル>という名前を与えられる。(ウルは、韓国語で泣くや囲う、鬱という意味を含んでいるらしい)
ウルは、断片的な感覚や予感のようなものに導かれながら、記憶と時間の境界が曖昧な世界で「自分は何者なのか」「なぜ記憶を
物語には、<はじまりの女>という原初的な女性像が繰り返し現れ、ウルの内面に強烈な感情を呼び起こす。
ウルは、都市をさまよい、さまざまな人物や象徴的な光景に出会いながら、自分の存在の根拠を探し続ける。
記憶喪失というのは、今まで積み上げてきた人生が確かにあるにも関わらず、それについて自分が忘れてしまうということだ。
今起こっている世界の事象や時間軸にも「遅れて」しまう。
一度記憶を失ったとしたら、自分という存在をどう構築しなおすのか、というのがこの小説の一つのテーマだと思う。
ウルは記憶の代わりに、感覚や予感のようなものを頼りに世界を見ようとする。
そして「はじまりの女」や「踊り」、「結婚式」「コヨーテ」「ツバメ」などのモチーフがたびたびパラフレーズのように繰り返される。
それが若干狂気じみて見える時もある。
<はじまりの女>とは、原初の女性性、母性、生命の起源、神話的な「最初の女」、ウル自身の深層心理などのメタファーで、物語の核心である。
ウルは、<はじまりの女>に対して恐怖や愛など、激烈な感情を抱く。
それは自己存在の根源と向き合う葛藤を表しているのだと思う。
ウルは、この<はじまりの女>を自分の存在根拠であると位置づけるわけなのだが、ただ、私もその解釈でいいのか自信がない。
全体を通して、曖昧さや夢のような雰囲気を持ちながら、いくつかのメタファーを繰り返し表現することで世界観を保ち、読む人によって何を感じるかは自由という表現である。
が、この感想にも自信がない。
読者に解釈が委ねられているのかどうかも自信がない。
こういう本はあまり読んだことがなく、最後まで読んでみたものの、よくわからなかったなあ、と思った本だった。
しかし「訳者あとがき」を読んだら、少しその所以がわかった気がする。
著者のぺ・スアはドイツ語の翻訳家でもある。
ペ・スアが、トーマス・マンの「ヴェニスに死す」を読んだときに「すべての単語の意味がわかっても、マンの文章の意味は一つも理解できなかった。そのことに非常に大きな衝撃を受け、『言語にはまた別の次元があるのだ』と痛感し」と書かれていた。
ま!さ!に!シュールレアリスムの絵!!!
そして、「『置き去られ感』のスケールの大きさにおいて、ペ・スアには唯一無二のものがある。」ともあった。
そうそう、そうなのよ。
その置き去られ感が私はつらかった!!
でも、不思議なのは、そんな風に置き去られてつらいのに、最後まで読めてしまうことである。
この小説には、「わからない、でも、いつかわかるのかもしれない、わかりたい」という気持ちを起こさせ続ける馬力があるのだ。
それが鉱物的文章のペ・スア作品のパワーなのかもしれない。
