謎の香りはパン屋から

謎の香りはパン屋から 土屋 うさぎ

読書時間2時間00分(6日間)
文章の難易度★☆☆(読みやすい)
内容の難易度★☆☆(わかりやすい)
ほっこりミステリーが好きな人におすすめ度★★★

この本は第 23回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作だ。

ミステリーと聞くと、あっと驚くようなトリックや伏線で、読後「やられた〜」と一本取られた心地よさがある本を想像する。
しかしトリックという点では、巷の作品はもう粗方似通っていて、目新しいものは正直なかなか出会えない。
コナン・ドイルやアガサ・クリスティーが、礎をほぼ作り上げてしまったのだろうか。
今では医学や法律、科学など専門的知識に頼る、すごくコアなトリックを探してくる必要がある。
そんな中、「このミステリーがすごい!」と言わせる作品を 23回も輩出している(時には大賞が2作ある回もある)この賞はあっぱれである。

さてこの本は、漫画家志望の大学生、市倉小春が大阪府豊中市にあるパン屋「ノスティモ」(ギリシア語で『美味しい』の意味)でアルバイトをしながら出会う「ちょっとした日常の事件」とその謎解きによって話が進む。
焦げたクロワッサン、夢見るフランスパン、恋するシナモンロール、さよならチョココルネ、思い出のカレーパンと5章にわかれている。
それぞれのパンがストーリーに絡み、短編が重なるようにして全体の作品を構成している。
選評にもある通り、ミステリーとしては多少強引だったり、ツッコミどころがあったりするのだが、この本の良さはそこではない。

だから、1章のクロワッサンだけを読んで「たいしたことないかも」と読むのを止めてしまう人がいるとすると、すごく勿体ない。
もちろん、1章ずつの短編として読んでも良いのだが、この作品は、短編が連続していることに意味がある。
少しずつ登場人物の置かれる状況が変化し、顕在化し、最終章とエピローグで大団円を迎える。
とにかく飛ばさず最後まで読んで欲しい。

この本の良さは、主人公だけではなく登場人物たちが生き生きと描かれていて、一人一人に個性と愛らしさと親しみやすさがあること、会話のテンポが良く、読者をぐいぐい引き込んで「読ませる」力量があることだ。
そして、読み終わった後、とても温かい気持ちにさせてくれる。

これを大賞にした選考委員の方々に拍手を送りたい。
すごい変化球をストライクど真ん中に投げてきたみたいな感じがある。
特に瀧井朝世さんの選評は素晴らしく、各作品への敬意と優しさの中に、良いところと改善点の的確な指摘をされており、その器に憧れた。

私は、ミステリーやサスペンスを読むとき、確かにトリックの面白さや犯人の頭の良さにわくわくしながら読むけれど、でも、その本を読むことに何を求めているかと言われれば、結局ミステリーであろうがなかろうが「この本を読んで良かった」と思えることだ。
この本はそれに十分値する。

「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の味はわからない」
ノスティモの堂前店長が言ったゲーテの言葉である。
人間は誰だって完璧ではない。
自分が本当に進みたい道があっても、どうしても必要な能力を持ち合わせていないことがある。
そういう時、人知れず、涙とともにパンを食べることが人間にはある。
それでも前を向いて夢見る心を持ち続けることの素敵さを教えつつ、希望とともに背中を押してくれるような物語なのだ。

余談だが、この本の撮影は、あるパン屋さんのブレックファーストメニューとともに行った。この本に出てくるクロワッサンとフランスパンがメニューにあったからだ。
朝のパン屋さんの香りというのは、どことなく燦燦としていた。
この本のような謎はそこにはなかった(と思う)が、朝から幸せに包まれたような気分だった。