暇と退屈の倫理学

暇と退屈の倫理学(増補新版) 國分功一郎

読書時間4時間44分(8日間)
文章の難易度★★☆(ふつう)
内容の難易度★★★(難しい)
暇じゃないのに退屈している人におすすめ度★★★

暇は人間をダメにする。
大概の人が同意するであろう考え方だ。

しかし、私は暇が大好きだ。
ぼーっとしていていいなんて、こんな幸せなことはない。


私は労働が嫌いである。
前の記事でも書いたことだが、寝ていてお金が入ってくるならそれが一番良い。
不思議に思われるかもしれないが、それは仕事を雑に考えているというわけではない。
むしろ丁寧かつ迅速に処理できるように努力している。
それは仕事をたくさんするためではなく、余計な手間を増やさず、さっさと会社から帰るために使っている能力である。

私の前世は有閑階級だったとしか思えない。
暇の中に退屈せずに生きていく術を知っていて、暇が美徳と考えていた成金のブルジョワジーである。
誇り高き労働階級の革命に負けたブルジョワジー。

私の妄想はさておき、暇や退屈は人間にとって難しい問題になっているらしい。
資本主義では暇を搾取され、退屈しているからだ。
そしてその退屈をどうやって乗り越えたらいいのか、明確な答えがわかっている者がほとんどいない。

この本ではその暇と退屈について哲学的に分析して書かれている。
人間は自由だから退屈するのだという。

私がこの本を読んですごく面白いと思ったのは、暇と退屈の起源である。
人間は、今や定住が基本だが、遊動(移動しながら生きること)していた歴史の方が長いという。


食料を求め、土地を移動する。
ごみや人が死んだときなどは、何も考えず、そのままいたところに死体ですらほっぽっていたようだ。
しかし、気候変動があり、越冬するために食料の貯蔵の必要性が出てきた。
ある場所に貯蔵庫を作って、その周辺で生活するようになる。
そうなると、ごみや排泄物の処理も考えなくてはいけなくなるし、人も埋葬するようになる。
土地に根付き、農耕をするようにもなる。
すると、そこに社会や概念、文化、宗教観が生まれてくるのである。
また、貯蔵をするということは、それが各々の資産になる。
資産があれば、貧富の差も生まれてくるのだ。

その日の食料を求めて、それだけを考えて新鮮な毎日を生きていた生活から一転し、より人間的で、ある種やっかいな生活の始まりとなった。
余剰時間と概念の発生はだいたい悩みを勃発させる。

さて、暇や退屈とはそもそも何だろう。
暇とは何もすることのない時間を指しており、客観的な条件に関わる。
しかし退屈は、何かをしたいのにできないという感情や気分である。
つまり、主観的な状態のことを指す。
消費社会は気晴らしをすればするほど退屈が増すような構造になっている。

「基本的に思考をしたくない」のが人間であるが、退屈と向き合うことを余儀なくされた人間は、芸術を生み、衣食住を工夫し、生を飾るようになった。
文化や文明を発達させたのだ。
これは人の心を豊かにする営みであり、これが「人間らしさ」と言える。

しかし、その人間らしさが崩れる時がある。
何らかの衝動によって、己の環世界を破壊された人間が、そこから思考を始める時である。
環世界とはそれぞれの生物が一個の主体として経験している、具体的な世界のことであり、人間の頭の中で抽象的に作り上げられた、いわば虚構のような客観的な世界の反対と言える。
つまり、人間は何らかの衝動によって駆り立てられたり、突き動かされたり、その対象のことしか思考できなくなるような時が、人間らしさが崩れる時と言える。と本ではこれを「動物になること」と表現している。

世界には思考を強いる物や出来事があふれている。
楽しむことを学び、思考の強制を体験することで、人はそれを受け取ることができるようになる。人間であることを楽しむことで、動物になることを待ち構えることができるようになる。

これが本の結論(だと私は思う)なのだが、本を読んでない人にはなんのこっちゃだと思う。
私も書いていて最後よくわからなくなってきた。

哲学って本当に難しい。
だから、一生の問いになる。
つまり、退屈がしのげるのである。