ロボット工学者が考える「嫌なロボット」の作り方: ヒューマンエージェントインタラクションの思想
松井哲也
読書時間 | 3時間24分(5日間) |
文章の難易度 | ★★☆(ふつう) |
内容の難易度 | ★★★(正直私には難しかった) |
良いロボットは何かを知りたい人におすすめ度 | ★★★ |
「頭の良い人が真剣に書いたトンデモ本に手を出してしまった…」
この本の「はじめに」を読んで思ったことだ。
私はこの本の題名から、今流行りの(と言ったら怒られるかもしれない)AIやロボット工学の話かと思って手に取った。
が、初っ端から出てきたワードはUFO、神隠し、異界などであって、困惑。
しかし最後まで読んでみると、著者が言いたいことと、私が日頃AIシステムを使っていて懸念を抱いていたことはかなり似ていることがわかった。
著者の研究領域はHAIと呼ばれる。
HAIはヒューマンエージェントインタラクションの頭文字を取った略称で、人間と、ロボットやAIシステムなどの「エージェント」と呼ばれるものが、相互に影響を及ぼしあうことだ。
エージェントという概念がわかりにくいかもしれない。
「自律的に何らかの動作を行うーもしくは『そのように見える』ものは全て『エージェント』という括りで捉えられる」。
ポイントはこの「そのように見える」ものの存在も含まれることであって、これが「幽霊や妖怪、神のような(おそらくは)実在しないものについても研究対象にできる」そうだ。
つまり「心を持っているように見えるもの」がエージェントで、この本では「他者」と呼ばれている。
この「他者」をどう考えるか、ということがこの本のテーマであるように思う。
今までの人工知能やロボット工学やHAIは、他者を人工知能的、自然知能的に考えられてきたようだ。
「『人工知能』とは、世界を自己にとって観測可能なデータの集合とみなし、自分にとって利用価値のある情報だけを取り込んで、出力に反映させるシステムである。」
「自然知能とは世界全体の見取り図を最初に所有していて、それを参照しながら世界の中での自分の位置を定義しようとするシステムだという。」
以上が人工知能と自然知能の(難しい)説明だが、要するに、他者という概念がどこまでも自己の内在もしくは延長上に存在している。
この二つの知能は結局、自分が考え及ぶ範囲の事柄だけが出力される、ということだと思う。
これだと「あ、それは考えつかなかった!」という感じのことは起こらない。
そして、この考え方では限界が来ているので、天然知能の概念が必要なのではないかというのが著者の考え。
「天然知能とは常に自己の外部を召喚する存在であるとする。」
自己と切り離された本当の他者という存在だと私は思った。
だから、こちらが考えた正しい答えを言ってくれるかもしれないし、言ってくれないかもしれない。
他者だから全く想像がつかない、自由な存在なのではないかと思う。
少し話は変わるが、世の中の大体のことは原因があって結果があることで成り立っている。
ただ、どうしてもそれでは説明がつかないことも存在している。
古くはそういう現象が「神隠し」などで説明されていた。
もしくは責任の出所を良い意味でうやむやにして、綺麗に終わらせるための概念だと思う。
AIやロボットも解釈装置としては同じではないか、ということだ。
神隠しやUFOは非科学的に見え、ともすれば怪しい存在と考えてしまうが、人間が知り得ない、理解できない、説明できないという得体の知れないものの存在を表現する概念として必要になってくることがある。
またロボットやAIの信頼性ということにも本の中で触れている。
こちらが想定したロジックに沿った返答をするよりも、突拍子もないことを答える方が実は信頼できると感じるという不思議な結果だ。
人間はもともと自分以外の人間の考えを100%理解することが難しいことを知っている。
だから自分の想像を超える返答をした方が、他者性を感じるのかもしれない。
これらをまとめると、これからのAIやロボットなどのエージェントに求められているのは、想像がつかない、外部性が高い「他者」としての存在ということになる。
さて、私が昨今感じている懸念というのは、この本の著者も触れている「おすすめ機能のアルゴリズム」だ。
最初は精度の高さに驚いていたが、ふと思った。
これは、好きなものの深さは限りなく深くすることはできるけれども、「突然見つけたり偶然出会ったりしたことで、本来は出会うはずのなかった好きなものと出会えること」の機会を恐ろしく削るものだ。
つまり、興味の深さは担保されるが、広さを狭めることになる。
何かを簡単にすることは、その何かをすること自体に楽しみを見出せなくさせる黒魔術でもある。
例えば、昨今流行りの音楽はすぐアプリを開けば何曲も聴ける。
便利で手軽だ。
でもそれは、中身は全然知らないけれどいわゆる「ジャケ買い」するみたいなことはできない。
これだと「よくわからないけれど良いと思うものに自分のお金を使って挑戦してみる」ような楽しさは削がれていく。
そういう考え方が、HAIの世界でも考えが応用されているようだった。
それが面白かった。
最後に、日本におけるロボットの認識が世界的に見ると特殊だと書いてあったことにぜひ触れておきたい。
日本はロボットに関して親和性があるそうだ。
それは、手塚治虫先生と藤子・F・不二雄先生の偉業と言える。
日本人には「鉄腕アトム」と「ドラえもん」がいるからだ。
世界的に見るとロボットは「理解不能で、不気味な他者」というようなイメージが強いようだ。
ネガティブな感情は、進化を失速させることがある。
ロボットに対して、ポジティブに捉えられる要素を作った両先生の素晴らしさを改めて知った。