アドルフに告ぐ

アドルフに告ぐ(オリジナル版全3巻、別冊1巻) 手塚治虫

読書時間5時間38分(5日間)
文章の難易度★★☆(ふつう)
内容の難易度★★★(考えさせられる)
もしも~から始まる物語が好きな人におすすめ度★★★

この本と初めて出会ったのは、私が小学生の頃。
手塚先生はすでに亡くなっていた。
当時横山明さんの装画で、普通の漫画とはどこか違うことを感じていた。
でも、当時の私には難しすぎて手が出せず、なんと今に至ってしまった。

今回読んだのはオリジナル版で、週刊文春に連載されていた当時のもの(3巻)と単行本化にあたって描き足された部分(別冊に掲載)の両方が読めるようになっている。
今はメディアを越えて作品の内容を評価する文化ができてきたと思うが、連載当時(1983年~1985年)の小説と漫画の垣根を考えると、大河ドラマを描こうとした手塚先生の気合いを推し量ることができる。

「アドルフに告ぐ」は実在の人物アドルフ・ヒットラー、ドイツ人と日本人の混血であり後にナチス党員になるアドルフ・カウフマン、ユダヤ人のパン屋の息子アドルフ・カミルの3人のアドルフの物語だ。
ヒットラーが実はユダヤ人の血を引いていることを証明する文書が存在し、その行方と戦争に登場人物たちが翻弄される。
当初カウフマン少年とカミル少年は友人同士だったが、それにも亀裂が入っていく。
手塚先生の反戦への思いは、この物語全編を通して感じる。

私がこの作品を読んで一番考えたのは「人は正義や信念を持って戦争をするのだが、その大義名分は非常に危うい存在の上に成り立っている」ということ。
ナチスは人種主義で、誇り高きアーリア人が高尚かつ人類の主人で、それ以外は劣悪民族であるという思想のもと、特にユダヤ人の迫害を行ったことは有名だ。
しかし、本作ではヒットラーがそのユダヤ人の血を引いていることになっている。
また、2人目のカウフマンは、ナチス党員として徐々に誇りを持ち始めるが、彼自身はドイツ人の父親と日本人の母親との混血であり、母への愛も手伝ってアイデンティティが揺らぐ。
ユダヤ人である3人目のカミルは大戦中、自分の民族が迫害を受けた辛い体験がありながら、最終的にはアラブ人を殺戮する中東戦争へと向かう。
正しいと信じているもの(信じたいもの)は果たして真実なのかを考えさせられる。
大きな戦争を通して、多くの人々が大変な思いをするけれども、確固たる民族思想のもと行われたはずの戦争が、実は不安定な土台の上に起こっているように見える。

最終的に、物語は3人目のアドルフ(あえて誰かは書かないことにする)が死に、重要な登場人物の一人である元新聞記者の峠草平がこの物語を綴り、後世に伝えていくという終わりになっている。
その物語の題名が「アドルフに告ぐ」なのだ。

休載があったこともあり、手塚先生は全てを描ききれなかったようで、それもなんとなく感じるものの、素晴らしい作品であることは間違いないと思う。

結局噂としてはあったものの、ヒットラーにはユダヤ人の血が入っていないらしいが、それを議論するのは、この物語を読む上では必要ないように感じる。
「かもしれないこと」から物語が想像されることこそフィクションの面白さだと思うから。