なぜ地方女子は東大を目指さないのか

なぜ地方女子は東大を目指さないのか 江森 百花・川崎莉音

読書時間1時間26分(5日間)
文章の難易度★★☆(ふつう)
内容の難易度★★☆(ふつう)
大学受験を控えている女性におすすめ度★★★

難関大学の女子比率がどのくらいかご存じだろうか。
この本によれば、東京大学は20.1%、京都大学は21.9%、他の国立大学も多くて3割程度だそうだ。
これは国際的に見ると、大変低い数字だ。
私も驚いた。

多くの人は「大学受験は、志望すれば受験ができるし、公正な試験なのだから、これが能力値の結果なのではないか」と考えるかもしれない。
しかし、OECDの報告書では「生まれつきの能力に性差はない」と記載されているそうだ。
問題は合格率ではなく、そもそも受験者数も女子の方が低いのではないかと予想されることだ。

この本では、地方に住む女子高生が難関大学を志望しにくい背景を下記のように分析している。

  •  資格重視の傾向:地方女子は「とりあえず資格を取る」進路を選びがちで、特に医学部志向が強い。
  •  自己評価の低さ:男子や首都圏の高校生に比べて自己評価が低く、浪人を避ける安全志向が強い。
  •  リールモデルの不足:周囲に難関大学に進学した女性が少なく、進学のイメージが湧きにくい。
  •  保護者の意識:女子には都市部や難関大学への進学を望まない傾向がある。
  •  ジェンダーギャップ:日本のジェンダーギャップ指数は世界的に見ても低く、構造的な問題が根底にある。

構造的差別とは、単に個人の偏見や悪意によって引き起こされるのではなく、社会の制度、慣習、規範、文化といった「構造」の中に組み込まれているために生じる不利益や不平等を指す。
当事者を含め、事実に気が付きにくく、改善されにくい側面がある。

かく言う私も地方女子である。
しかし、東大を目指さなかったのではなく、目指せなかった。
この本に書いてあるような理由ではなく、偏差値だけでなく科目数も足りず、要は単純に実力不足だった。
早々に国立大学は諦め、私立大受験をすることにしたのだ。

そのため私大のことが気になって GEMINIに聴いてみたところ、2022年のデータを教えてくれた。
早稲田大学は38.1%。慶応義塾大学は36.2%だそうだ。
4割は切っているものの、こちらの方が国立大学より女子比率が上がる。
この本で言われていた原因に関して、全てではない気がするのはここだ。

私は自分の出身大学には誇りを持っている。
その大学に通わせてもらい、何事もなく卒業させてもらったことに関しては親に感謝しかない。
高校生当時も、私が行きたいと思った大学に挑戦することに関して(私の学力以外は)何も弊害がなかった。
私の家族は、父方の家族も、母方の家族も、目標は高くて良い、そこを目指せという雰囲気だった。
私が構造的差別がまだまだ根強いことを実感したのは、社会人になってからである。
それはすごく幸せなことだったんだな、と今改めて思う。

この本に書かれていることに、私はすべて合意できる訳ではないけれど、事実として起こっているが、構造的差別によってなかなか可視化されない現実にメスを入れたことが価値あると思っている。
一番の問題は、能力や可能性がある個人が、構造的差別によって、本来享受できたはずの良い経験や選択肢が失われることである。

自分が自然に身についたものに関して、自分自身でその価値に気付くのは難しい。
偏差値が高い大学に行けると言うことは、一番は自分が努力したからという理由は間違いないけれども、それだけの要因では決してない。
「いい大学を目指そう」と挑戦する気持ちを最終的にそぐようなことが起こらなかったこと、努力すれば結果が出せるという環境が10代の時点で整っていたこと、塾代やテキスト代や模試代などの経費の支払が滞りなかったことなど、つまり、経済的にも、気持ち的にも、環境的にもすべての要素がそろって叶ったことである。

多感な10代の時期、自分の生きている世界の全体像がどんなもので、全国にどんな同級生がいて、自分はどの程度の位置にいるのか、というのは私も当時よくわからなくて、本当に志望校にいけるのかどうかの不安は常にあった。
「あなたにはもっと可能性があって、挑戦することに意義があって、若ければ若いほど努力による奇跡の結果は出やすい」ということを、今の受験生、とくに地方に住んでいる女性に、私も伝えたい。