そっか、日本と韓国って、そういう国だったのか。 ムーギー・キム
読書時間 | 2時間50分(10日間) |
文章の難易度 | ★☆☆(読みやすい) |
内容の難易度 | ★★☆(ふつう) |
大統領選の行方を見守っている人におすすめ度 | ★★★ |
「私のふるさとでは、皆の信じたことが『歴史』と呼ばれている」
この本を読んで思い出した、ミュージカル「ウイキッド」のオズの魔法使の台詞だ。
この本を読もうとしたきっかけは昨年 2024年12月3日に突如(と思われる)「非常戒厳」が尹錫悦大統領から宣布されたことに始まった。
そこから右派、左派のデモや弾効裁判などが繰り広げられ、結局大統領は罷免となり、現在は次期大統領選の結果を本日深夜待つばかりとなった。
右派、左派どちら側の立場でいるかによって見える景色は違うだろうが、日本人の私としては最後まで反日のカードを切らなかった尹大統領が罷免されたのは、大きく国交を揺るがすことになるのではないかと思ったのだ。
この本の冒頭でもある通り、「個人同士だと仲が良いのに、国同士になると、こうも関係がこじれるのはなんでかね」というのは、多くの日本人、果ては韓国人の方々も考えていることではないだろうか。
私は単純に、国と国との関係性はそれぞれの国の背後にまた違う国がどう味方に付いたり、干渉したりしているかで変わるからではないか、と思っていたのだが、そう簡単な話でもなかった。
この本は、在日韓国人3世で、プライベートでも仕事でも韓国・日本両国を40年にわたり行き来し、双方に友人・親族がいて、双方の視点を熟知している著者によって書かれている。
食事や人間関係の違い、武士道ジャパンと儒教コリアのルーツの違いと共通点などの文化的な違いを、考察および解説し、歴史を紐解き、それを踏まえて今後どうしたら日韓関係をムラサキできるのか、ということを説いている。
「ムラサキする」というのは、BTSのファンダム・アーミーの用語で「相手を信じてお互いに長く愛し合おう」という意味だそう。
歴史を学んだときに生じる集団的・民族的な記憶と個人的な体験に大きな乖離があることも書かれている。
キムチとたくあんの差でそんなに人間性は変わらないだろ、と思い読み始めたが、意外と真面目で、中立な立場を取って細かく解説してある、読んで良かった本だった。
先の尹大統領の一件では、日本人の私はどうしても大統領を支持する右派の主張を聞いたり見たりすることが多く、その際「私はキリスト教なので、その宗教の自由もなくなる恐怖がある」ということを何人かが言っていたのが印象に残っていた。
この本を読んで、韓国には儒教の根強い思想があることがわかり合点がいった。
この本でも書いてある通り、韓国の大統領は「ほぼ全員監獄に送られ、寿命をはるかに超える景気が言い渡され、親族が逮捕され、時に自殺に追いやられる」のである。
私が知っている普通の余生を送っていらっしゃるのは、農村の中で本屋を営んでいる文在寅氏だけである。
儒教ならではのしつこさだけではない何かを私は感じている。
また、日本人は「死んで責任をとる」という武士道的思想があるためか、死ぬと責任はもう問われない。
「死んだ人を悪く言いたくはないが」という接頭語が存在するのが良い例である。
これが韓国人の皆様からすると無責任に感じるらしいのだが、これは私も同感である。
死んでしまえば悪行がすべて許されるなんて、何ともご都合主義だと思うし、迷惑を被った側は、死ぬことで逃げられてしまったと感じても無理はない。
こういう日本人もいるのだ。
ちなみに私は9割方せっかちなので、韓国の皆様のようにエレベーターでは閉じるボタンを連打している。
しかしながら、韓国の方々にとっては、それが豊臣秀吉の話まで遡るらしいので、それは私も「おいおいそんな16世紀のことまで言うのかよ~」とは思ってしまうのである。
じゃあいつまでならよくて、いつまでなら悪いのか、という明確なルールを問われると難しいが、とにかく昔すぎるだろ、とは思ったのだ。
そこは文化が大きく違うのを痛感する。
日韓関係は政権次第で流動的になりそうなのは想像できる。
おそらく国同士は今後も揉め続ける。
しかしながら、この本にも書いてある通り、大切なのは、無理に仲良くすることではなく「ほぼ永遠に解決しない揉め事があり、隣国関係の一般的な現象として当然それらが存在するものということを両国が理解し、その不満や怒りをサステナブルなレベルで管理すること」だと私も思う。
良く考えると日韓関係の悪さなど、世界的な隣国対立と比べると太したことないのかもしれない。
だからこそ、この理想が叶うのではないかと期待がある。
最後に、この本に大変共感できることが書いてあったので、そのまま引用したい。
歴史を学ぶことでどこかの国にカリカリ怒るより、「人間はどのような状況に置かれたときに一般的にどのように行動するのか」という人間の本質的な負の側面(利己性・凶暴性・残虐性)を学んだ方がよほど建設的な歴史の教訓であり、教養だと悟るようになった。
そして、多くの国で教えられている歴史認識が、過去やいまの正当化のために編集されたものであるという本質を、深く理解するようになったのだ。
オズの魔法使が言った「ふるさと」とは、まさに今あなたと私が生きているこの場所のことである。