成瀬は天下を取りにいく 宮島 未奈
| 読書時間 | 1時間56分(4日間) |
| 文章の難易度 | ★☆☆(読みやすい) |
| 内容の難易度 | ★★☆(ふつう) |
| 青春の正体を知りたい人におすすめ度 | ★★★ |
2024年の本屋大賞を受賞した作品だと聞き、「この本を大賞に選ぶ日本は、まだ捨てたものではない」と思えた小説だった。
この本は、成瀬あかりという、頭が良く、運動も得意、そして個性的でもある女子中学生(から女子高校生になる)の青春の1ページを切り取ったような物語を中心に、いくつかのエピソードで「日常にある愛情と運命のようなもの」を紡いだ一冊である。
小説の中の愛情と運命というと、さも大げさに感じる。
しかし、ごく一般的な生活の中にあるそれは、ほとんどの場合、静かなものだ。
私たちの日常生活には、小説にできるような劇的なことはほとんど起こらない。
でも劇的でないことが、取るに足らないというわけではない。
本人たちにとっては、代えがたい思い出になり、逆に無自覚で傷つくこともある。
それを巧みに描いているのがこの小説だ。
成瀬あかりは、一見個性的だが、彼女なりの貫くポリシーがきちんとあり、何より、人であろうが場所であろうが、身近な存在に深い愛情を持てるという才能がある。
この才能に関して、成瀬あかり本人に自覚がないのもまた良い。
この本のエピソードの一つであり、第 20回『女による女のためのR-18文学賞」で史上初のトリプル受賞(大賞、読者賞、友近賞)した「ありがとう西武大津店」は、読んでいて涙が出てくるくらい良かった。
滋賀県大津市に住む成瀬あかりは、一ヶ月後に閉店する西武大津店に毎日通い、そこから生中継されるローカル番組に毎日映ることで「今年の夏を西武に捧げる」ことを幼なじみの島崎みゆきに報告するところから物語が始まる。
コロナ禍という未曾有の出来事と、今いる場所で出来ることに挑戦すること。
家族と友人の愛情。
それを優しさでつないだような物語だった。
また、この物語で閉店するのが西武大津店というのも憎い演出だと思う。
これが伊勢丹でも高島屋でも、この物語にそぐわない。
今の若い人は想像がつかないだろうが、西武グループとは、堤康次郎氏がほぼ一代で礎を築き、次の堤清二氏、堤義明氏のころには、世界のお金持ちになった会社である。
世界のお金持ちというと、今は孫正義さんや柳井正さんとその会社を想像されるかもしれないが、アマゾンのジェフ・ベゾス氏、マイクロソフトのビル・ゲイツ氏くらいのレベルだったのである。
「飛ぶ鳥を落とす勢いだった」とはこういう時に使う言葉だと私は思っている。
そして、西武は不動産事業や鉄道事業を行うだけにとどまらず、センスが良く、おしゃれだった。
加えて、無印良品やロフトなど、身近に欲しいと思うものが商品化され、誰もが行きたくなるようなお店をあまねく作っていたのである。
小説の中にも、初めて西武池袋本店という聖地に立った成瀬が「館内の空気が西武なのだ」と感じる一文がある通り、今でも西武百貨店はどこの店舗でも同じにおいがする。
光が抑えめで、モードで、そこだけ世界を分断するような特別な雰囲気だ。
西武には文化がある。
世界に誇れる企業は日本にもたくさんあるが、同時に文化も持っている企業となると途端に数が減る。
そして、この偉大な西武グループの創業者、堤康次郎は滋賀県の生まれで、大津市の名誉市民である。
これを踏まえると、少し見える情景が変わることがわかるだろう。
成瀬あかりが愛したのは、滋賀県から一代で世界のお金持ちの礎を確固たるものにした堤康次郎が作った「西武大津店」であり、それが閉店するまでの物語でもある。
それは日本のある一時代の幕が下りる瞬間に居合わせることだ。
それが本では一切触れていないのが、また良い。
作品の中で語ってしまうと大げさになり、日常のありそうな出来事を切り取るみずみずしさを台無しにする。
その人が持っている知識や経験値によって、まったく違う景色が見えるような仕組みをしている。
そして、この本が見せる景色はいずれにせよ清々しい。
また、この本には好きとか、愛とかそういう言葉はほとんど出てこない。
しかし、登場人物が心から好きだったり、信頼していたり、愛情があったりすることがよくわかる。
私たちの日常にちょうどいい、心を温かくしてくれる物語なのだ。
あらすじを聞くだけでは計り知れないこの作品の良さがここにある。
R-18文学にしておくのは勿体なさすぎる。
大人こそ、その経験値でこの本を読んで欲しい。
淡々としていて、ほかの人から見たら何気ない生活の一コマに映る出来事が、爽やかで、心を打つ。
すばらしい小説だ。
