抜け感読書

私が大切にしているのは、抜け感である。

どこもかしこも完璧、気合入りまくり、というのも、実は憧れはある。
でも、常にそれだと自分も疲れるし、相手にも圧をかけやしないかとできもしないことを心配してしまう。
バリキャリ、イケイケ、中身が伴った場合の意識高い系など、生まれ変わったら皆なってみたい存在だが、今世では、体力のない私にはそもそも無理そうである。

かと言って、ゆるふわはもっと違う。
そもそもそんな可愛げはないし、そうでない人が間違って目指すと途端にアホっぽくなる落とし穴である。

40歳を過ぎれば、大体の人は四六時中いつでも元気でやる気満々、全力投球というわけにはいかないだろう。
気分の乗らない日だってあるし、特別どこがというわけではないがそこはかとなく不調だし、疲れていてやるべきことをうっかり忘れてしまうこともある。
そんな自分の理想とは違う自分のことも愛すことができるかどうかは、これから先の人生をより豊かに生きていく鍵でもある気がする。

抜け感があるというのは、それだけでなんかおしゃれだし、素敵だ。
100%MAXからあえて引き算をする。
余白の美しさを感じたい。
それが大人の余裕であり、知性であると同時に品性であるようにも感じる。

読書も同じだ。
年に何百冊も読み、実用性が高いことを次々に習得したりするのもいいが、私は読書にも「抜け感」を求めている。
読書における抜け感とは、まさにセンスやクオリティの高さを指す。

質を大切にする宣言をすると、必ず量を重視する派閥から茶々が入るのだが、私は量派の皆さんを否定しているわけではない。
むしろ、量派閥が大切にしている「量をこなして初めて質の追求に至る」という考えには、大変共感する。
しかし、若い人の読書体験はさておき、40歳を過ぎた私たちは、その段階は卒業し、質を追求して然るべきだと私は思っている。
出来る限りの精鋭だけでいいのである。

だからこそ、何を読むかという選書のセンスも大切になってくるのだ。
仕事で役に立つとか、生活において節約になるとか、お金が入ってくるとか、即効性がある読書も人生においては必要だが、それが得意な人は私以外にたくさんいる。
読んだら幸せになるとか、明日が楽しみになるとか、自分の知らない世界を知れるとか、純粋にすごいと感動するとか、私にとってはそれが重要なのだ。
そういう気持ちを動かす本を私自身読みたいと思っているし、このサイトでも紹介したい。
私が思う読書での「抜け感」とはそういうものだ。

手抜きとも違う、頑張らないとも違う、かと言って、ガツガツともバリバリとも違う、「ちょうど良い心地よさ」をこれからも追求していこうと思う。

その「抜け感」読書が人生を楽しくしてくれると信じている。