今、情報は様々な方法で膨大な量を得られるようになりました。
その中でも、私が本を選ぶのは、本でしか得られない知識と経験があると思うからです。
以前、どこかの雑誌に「SNSは文章が流れているのを岸辺でぼんやり眺める川遊びで、読書は登山に近い楽しみがある」というようなことが書かれていました。
言い得て妙です。
私もSNSは大好きで、知りたい情報はすぐ検索してしまいますし、簡単に知りたいことの答えが出るので重宝しています。
面白いですしね。
でも、読書から得られるものとは性質が違います。
「SNSの情報だけでわかった気になってしまうこと」がすごく勿体無いと思っています。
簡単に得たものは簡単になくなる、これも真理です。
上部の断片的な情報で何かを知ったつもりになっているのと、何人もの人が関わって構想され時代を超えて伝えられたものを時間をかけて読み解くのは大きく差が出て当然だと思います。
私たちは、得られる情報が増えたことやデジタル技術の進化によって、たくさんのことを瞬時に知ることができ、すごく広い世界を感じられるようになりました。
しかし、実際私たちが生きている世界は狭いのです。
家族、職場、学校など、多くの人がすごく狭い、限られたコミュニティで毎日暮らしています。
いつも全く違う人といつも違う場所で生活している人のほうが少数だと思います。
生きているのは閉鎖的な世界なのに、情報だけは広くたくさん流れてくる。
息が詰まったり、思い通りにならなくて苦しいのは自然なことと言えるでしょう。
そんな時には、本を読んでみてください。
自分だけが悪く考えていると思ったことや、自分だけが苦しいと感じていたことが、実は世界中で起きていて、大きい問題になっていたりします。
そして、狭い世界で周囲の人に同意されずひとりぼっちで考えていたことが、大きな世界で見ると自分の方が圧倒的に正しいということがわかったりもします。
人間の悩みや違和感を持つことは、過去から現在、数多の賢者たちが考え、ほとんどのことに答えを出し、そして書物として遺してくれています。
自分の興味がある本を何冊か読んでいくと、点と点だった知識が線のように繋がり、急に世界の真理の一つのようなものが見える瞬間がわかると思います。
線となって広がった知識が、自分の考えに援護をしてくれるような感覚。
これは本でしか経験できない感覚だと思います。
かのニュートンは言いました。
「私が遠くを見渡せていたすると、それは巨人の肩に立っていたからだ」と。
この言葉は先人の積み重ねた発見の上に自分の発見があったということを指しています。
これが書物の本質そのものだと私は思っています。
ニュートンがその言葉を遺して340年以上経っていますから、私たちは彼が乗っていた巨人よりも、もっと大きい巨人の肩に立つことができるのです。
狭くて苦しい世界から、本を通して彼方の世界を覗いてみてください。
さて最後に、紙の本で読むか、デジタルツールで読むか論争に触れておきます。
これは答えが出ていました。
出典を忘れてしまったのですが、どちらも知識の吸収には大差がないということでした。
私は体感として、紙の本の方が定着率が良い気がするのですが、今のところ気のせいのようです。
ただ、Xで見かけた投稿に「紙の本の良いところは本が歳を取ることだ」という文章と共に、紙焼けした本の写真がありました。時間を経て変化することに、私は価値を感じました。
劣化ではなく、変化です。
人間もそうですよね。
これに限っては紙の本に軍配が上がるのではないでしょうか。