杉の柩

杉の柩 アガサ・クリスティー


読書時間3時間45分(4日間)
文章の難易度★★☆(ふつう)
内容の難易度★★☆(この本に限らずカタカナの登場人物は覚えにくい)
彼か彼じゃないかで迷っている人におすすめ度★★★

名探偵ポワロシリーズで私が一番好きな話です。
ミステリー小説の殺人動機は愛憎、隠蔽、仇討ち、お金、ほぼこれで全部でしょうか。
この動機が最後に犯人とともに明かされるので、フィクションとはいえ読後哀愁や悲しみが何となく残るもの。
でも「杉の柩」は、最後に暖かい気持ちになれる物語です。

【あらすじ】

エリノアと婚約者のロディーは資産家で病床に伏している叔母を訪ねる。
するとロディーはその叔母の家の門番の娘「花のごとき」メアリイに心奪われてしまう。
やがて叔母は急死し、遺産を唯一受け継いだエリノアは叔母の家を片付けている中で、昼食のサンドイッチを作り、メアリイと食事を取ることに。
すると間もなくメアリイが毒物によって死んでしまう。
動機もあり、サンドイッチに毒物を混入するという殺害方法も十分可能なエリノアは逮捕されるが、彼女の無実を信じるロード医師から依頼を受け、ポアロが調査に乗り出す…。

絶体絶命のエリノア、願ったことが現実になってしまったのではないか…という錯覚になるのですが、実際にやってないこともやった気になってしまうのかしら。
私はなんで知性があるエリノアがあんなにロディーのことを好きなのか、全然わからない。
魅力があると書かれているけれど、私から見ると、彼は底の浅い、その辺によくいる度胸もない人間です。
浅はかであるということは、後先考えず、とりあえずその場をしのぐことを言うから、一見優しく見えるのかな。
人に惹かれるって、全部理由を説明ができてしまうほど簡単じゃないですね。

ポワロシリーズで人気のあっと驚くトリックや犯人という点では、「オリエント急行殺人事件」や「ナイル殺人事件」「アクロイド殺し」などと比べてしまうと、この「杉の柩」は華やかさという点だけでは少々負けてしまうかもしれません。
でも「個々の人間性と感情の流れ」を巧みに、かつ繊細に描いた骨太の推理小説と言えます。
最後はパズルのピースが全部はまるようにパタパタパタパタと小気味よく一気に解決します。
そして最後には「愛情」と「人がどうやって本当に一緒にいたい人を選ぶか」の二つの本質が描かれている、美しい締めくくりとなっています。
やっぱりアガサ・クリスティーはすごい。

最後に題名の「杉の柩」の意味にも触れておきましょう。
シェイクスピアの「十二夜」で、道化が恋に破れて嘆く歌に「死がやってくるのなら、杉(イトスギ)の柩に寝かせてくれ」(私の意訳)という文言から引用されています。
イトスギはイギリスでは死や喪の象徴で、墓地に植えられている木という印象もあるようです。
題名も、エレノアの心情を暗示していることになります。

人間は、最後誰でも死ぬわけですが、柩に何と一緒に横たわるのか。
宝石も、高価なバッグも、腕時計も、名誉も、大切なパートナーですら、死の世界には一緒に持っていけませんから。
柩に入れられるのは自分の得た知見と大切な人たちと過ごした思い出だけ。
どれだけ素敵なものと一緒に眠れるか、それが本当の人生の目的なんじゃないかと思い出してこの本を読みました。